学生を終え、駆け出しデザイナーになったときの壁[前編]

総北海の本社がある北海道旭川市。2013年度末まで、デザインを学べる大学がありました。東海大学芸術工学部。実は制作課メンバー5人のうち、私含め3人が東海大を卒業しています。そこでデザインの基礎を学びました。独学でデザインを学ぶことも多かったですが、大学で教授と対話し、デザインにまつわる思想を指導していただいたのは、とても良い経験でした。

2013年末まであった、東海大学旭川校舎

しかし、私がいざ社会人となってデザインの現場に入ると、思いもよらない「壁」がたくさんあることに気づきました。学生としてデザインに接していたころと、社会人としてデザインするときには大きな差があって、そこに大きく戸惑ったのです。

これから「学生を終え、駆け出しデザイナーになったときの壁」をブログに綴ってみようかと思います。あくまで私のケースなので、他の方が見て参考になることがあるかは分かりませんが、どうかご容赦いただき、読み物として楽しんでいただければと。

目次

「デザイン力がゼロじゃん」と言われた

大学を出てまもなく、ある広告会社にいたとき、当時の上司に言われたのが「キミ、デザイン力がゼロじゃん」という強烈な一言でした。

こう書くといやらしいのですが、学生のころの私は、ちょっと自信もありました。「デザイン力がゼロじゃん」と言い放った上司も、面接のときは、ポートフォリオ(作品集)に載せた私の作品をとても評価してくれていました。にも関わらず、仕事としてデザインに関わればそう言われてしまったのです。

それも当然。周囲の方々が1つ1つの広告デザインをものすごいスピードでさばいていく中、私は作業スピードがとても遅かったのです。ちょっとした小さなものにすら、何時間もかけてしまう。学生のときに作って評価された作品は、余りある時間を存分に使い、何度もトライ&エラーを繰り返した結果でした。さらに私は、いきなり細部(タイトルなど)の文字組から着手し、そこに合わせるように全体を構築していく形でバランスを取っていました。そんなやりかたでは現場に適応できません。

その会社へは中途採用で入り、会社も即戦力となる人材を求めていました。そこでは続かなかったですね……。

情報詰め込み型のデザインができなかった

学生のときは「余白を活かした上品なレイアウト」を追究していました。1枚の紙に入る情報もそんなに多くはありません。しかし皆さん周りを見渡していただければ分かるとおり、世の中の多くの広告やチラシには「これでもかこれでもか」と言わんばかりに情報が詰め込まれています。これ、相当経験を積まないとできないんです。数をこなした今でこそ、大量の情報をもらってもレイアウト案がすぐ浮かんだり、「もう入らないよ」というときの対処法など、色々ノウハウを蓄積してきましたが、新卒同然のときにドーン!と大量の情報を渡されて「はいデザインして」では、もう本当にお手上げでした。

「デザインを変える」の加減が分からない

デザインを複数案出すときや、また毎年ある仕事で「去年とはデザインを変えてほしい」という案件のとき、私はよく注意を受けていました。「どれも大して変わってないじゃん!」というお叱り。これを克服するのはなかなか大変でした。

「私にとっての大きな違いが、他人にとっての小さな違い」に過ぎなかったケースです。何より私は、ヒラギノ明朝体と游明朝体は全く違うと思うタイプの人間だ。どこまで変えれば、多くの人にとっての「変わった」になるのか、そのさじ加減が分かりませんでした。ちゃんと分かるまで3年くらいかかりました。

さらに自分の中にデザインの引き出しが全然ありませんでした。これに関しては、様々なものをメモして模倣して……と言えれば格好良いのですが、だらしない私の場合はとにかく「見る」ことで克服していきました。見るだけのことでも、無意識に脳は記憶していて、引き出しも増えます。あとはもともと分析癖があったのが良かったのかもしれません。

後編へ続く)

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